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羅紗切り鋏(ラシャ切ばさみ)

語源はポルトガル語、形は明治開国前後の舶来もの。

羅紗切鋏(ラシャ切鋏)の「羅紗」はポルトガル語のRAXAを音訳したものです。羅も紗も薄い絹織物のことですが、二字を合わせた造語の羅紗という布は、絹とは関係のない「毛織物の一種で地を厚く、織目を細かく表面だけをけばだてた物」のことを言う。
昭和の戦前まで冬物服地としてなくてはならなかったラシャ地は、今ではすっかり廃れてしまったが、名前だけは使われている。洋服縫製に欠かせないラシャ切鋏の渡来した時期は分からないが明治初年説がある。しかし、文久年間(1861~1864年)に幕府が投袋(ズボンのこと)を採用したりしているところからみれば、もう少し早い時期の幕末にラシャ切鋏を携行した欧米の洋服職人が来日したと考えられる。
幕末に開業の洋服店で舶来のラシャ切鋏を使って厚手の洋服地を裁断していたと思われるが、当時のラシャ切鋏は大きくて重く、日本人の洋服職人には扱いやすい道具ではなかった。大きく重い西洋風のラシャ切り鋏から日本人に使い易ラシャ切鋏に改良したのは吉田弥十郎(銘、弥吉)である。弥十郎は安政6年(1859年)生まれで、家業は千住の野鍛冶だった。12才の時に、刀鍛冶の弟子となったが、明治維新後廃刀の令が出て刀の製造ができなくなり、のちに日本独特のラシャ切鋏を創製した。そして、弟子、孫弟子、曽孫弟子たちによって正統派のラシャ切鋏として受け継がれて来た。

裁ち鋏として、最も馴染み深いラシャ切りの味は、重量感と切れの良さ

ラシャ切鋏は、別名、裁ちばさみともいうが、握り鋏の15cm以上の大きめのものも、和裁の裁ちばさみだから、X型中間支点の裁ちばさみは両者を区別するために正確にはやはりラシャ切鋏というべきであろう。しかし、明治中期に、日本人向けのラシャ切鋏が開発されてからは、和裁の布地裁ちにもラシャ切鋏が好んで使われるようになった。厚手の布地を切るために造られたラシャ切鋏は和裁の薄い生地を切るのにも実に楽々と切れるし使い馴れれば、ラシャ切鋏の重味は少しも苦にならないどころか、その重量感は使い手にとって快い感触を伝えるのだ。