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はさみのこと

関東型、関西型関東型、関西型

U型X型U型X型

万能型、用途別万能型、用途別

職人型、量産型職人型、量産型

着鋼、刀の伝統を継いだ工法着鋼、刀の伝統を継いだ工法

はさみ供養?はさみ供養?


関東型、関西型

握り鋏の二大潮流は、関東型と関西型。東西の好みが画然と分かれているのはハサミだけ。刃と握りの部分が、双方対照的なのが特徴。


握り鋏の世界では、関東型、関西型がかなりはっきり分離している。
10.5cm(3.5寸)の握り鋏は和裁用を中心として東西どちらでもよく使われているが、関西型は刃が長く(長刃)全体の形がすっきりと細身であり、関東型は刃の部分が短く(短刃)その分握りの部分が大きく、ややずんぐりとした形をしている。握り鋏としての機能はそれほど違いがあるわけではないだろうが、この好みの差が出たのは江戸期からのことで、今でも、東では刃の長い握り鋏はあまり売れないし、逆に刃の短い握り鋏は関西ではあまり見かけない。



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U型X型

最も一般的で、応用範囲が広いのがX型
和ばさみ特有の細かい作業の出来るU型


X字型とは、ラシャ切鋏、洋ばさみ、などの系統で、中間支点式で握り鋏以外は全てこの型
U字型とは、握り鋏などの系統で、はさみという切断の用具として最も古い

はさみはテコの原理によって、支点、力点、作用点の組み合わせでつくられている。
U字型のはさみは、ハサミという切断の用具として最も古く、はさみの発祥はこの型だったといわれている。握力より指の力で切る機能をもっているから、刃の長さは制限されるし、力強く切れるはさみとはいえない。そのかわり細かい細工をするときなどには人間の指先と同じように使える点で優れている。また、X字型と違って、ものを切るために刃を開いてから切るという2アクションを必要としないので、映画フィルムの編集などにも便利である。

古い時代には、ヨーロッパ、中国など世界各地でこの U字型はさみが使われていたことは、遺跡の発掘などによって知られている。その後、この系統のハサミ造りはしだいに姿を消し、日本だけで盛んに使われるようになったため、”和ばさみ”ともいわれるようになって、今日に至っている。手先の仕事を大切にする日本人の気質と、U字型ばさみの機能はよく合っているからに違いない。

しかし、最近になって欧米でも、握り鋏系統のはさみが出まわっている。まだ少数派であろうが、U字型機能の便利さが欧米諸国でも再発見されるようになったとすれば、それなりに面白い。しかし、これらの欧米型握り鋏は、X字型ばさみと同じように中間支点だったり、バネを挿入する工夫がしてあったりして、和ばさみとは違う仕組になっている。
X字型ばさみは、いわゆる中間に支点のある方式で、握り鋏以外はすべてこの型といえます。力強く、合理的な組み立てによって造られているから、応用範囲は大変広い。力強いだけに、 U字型に比べると、長時間使うときに疲れやすい。そこでX字型でも長時間使う剪定ばさみ、摘果ばさみなどにはバネで刃を自動的に開くものがあり、理容ばさみなどは、開閉にもっとも抵抗が少なくなるように精密な機能を追究して造られたりすることが必要になってくる。

U字型、X字型、どちらのはさみも、自由に使いこなすためには、多少のトレーニングをしなければならない。2枚の刃で物を切るはさみの世界は、1枚刃で造られるナイフや包丁と区別して”合わせもの”と呼ばれる。2枚の刃をすり合せて切る道具としてのはさみ造りには、造り手にとってそれなりの技術が要求され、苦心くふうがあるだけに、使う立場にとっても、2枚の刃を動かす呼吸といったものを呑みこまなければどんな良いはさみでも使いこなせないのは当然である。

思いのままにはさみを使えるようになれば、使い心地には、ある種の快感がある。それは、どんな道具を使うときにも共通するものだろうが、物を切断する行為だけにはさみの使い心地は格別なものが感じられる。日本で発明されたカッターは、世界的な市場を獲得した便利な刃物だが、日常の生活がすべてカッターで間に合うというわけではない。U字型、X字型、どちらの型のはさみにも特徴があり、これらを使い分けることによって、我々の生活がより豊かになることはたしかである。

どんなはさみでも、造り手は精一杯の技術を駆使して造っている。合わせものは、刃物造りの中でも、最もデリケートな調整が要求されるのだ。それだけに、量産品であっても最後の仕上げでは熟練した人手によって調子をととのえてからでなければ市場に出すことはない。使う側の立場とすれば、カメラや万年筆などと同じように、床に落としたり、強い衝撃を与えないように注意して使わねばならない。落としたり、ショックを与えたりして調子が狂ったはさみを調整し直すことは、素人の手には余る。はさみの調子をきちんと調えることは、かなり熟練した技術がなければ出来ないものである。その点においては、X字型の中間支点のはさみであろうと、U字型の握り鋏であろうと変わりない。はさみを長く使うコツの第一条件である。



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万能型、用途別

1本ですべて足りるというのが万能型。
たったひとつの用を足すためのが用途別。


一言で”物を切る”とはいっても、切る対象は千差万別である。厚いもの、薄いもの、柔らかいもの、固いもの、朝から晩まで切り続けるもの、タマにしか使わないもの、生物を切るもの、乾燥したものを切るもの、力一杯でないと切れないもの、形が崩れやすいものを切るもの----。用途別に細分化された、様々の種類のはさみが造られてきた。同じ種類であってさえ、大、中、小と造り分け、使い分けてきた。切るべき対象が消滅することによってご用済となって、なくなってしまったはさみもあれば、最近では、アラミド繊維のように、これまでの金属性はさみでは切断が困難な代物が出現すれば、頑丈な専用ハサミが開発されるなど、また新たなはさみが出てくる可能性もつねにある。

そういう意味からも、はさみの種類を特定することは難しいが、細かく分ければ無慮数千種にもなるのではないだろうか。用途別にはさみを使い分けるということは、それなりの文化といえると思う。それとは別な考え方として、ひとつのはさみで多目的に切るというのは、複雑なものから単純なものに整理することになるので、この方向もまたひとつの文化的な方法といえる。新しい目標ができて、その目標に適応した新しい形が産まれ、用途ごとに使い分けるようになったかと思えば、次の段階で多目的に使えるようなものが造り出される。単純から複雑化し、やがて整理統合して再び単純な形式に戻っていく、人間のいとなみには、そうした繰り返しが絶えずつきまとっているのであろう。

はさみの世界にも、同じような繰り返しがあるようだ。しいていえば、ヨーロッパでは、はさみの多様化に際し、用途に応じたまったく異なる形態のものを造り出してきたのに対し、日本の握り鋏では、握り鋏というジャンルの中で用途別に造り分ける傾向があった。しかし最近になって、これまでの鋼に替わってチタンなどの新鋼材が採り入れられるようになり、欧米でも日本でも”万能ばさみ”と称するはさみが出まわるようになってきた。

はさみの話になると、誰でも子供の頃の思いでとして、「ラシャ切鋏で、紙なんか切ってはいけませんよ」と母親に注意された話をする。
ラシャ切鋏は、もともと布地の裁断の専用に造られたものだから、木材を原料とする紙などを切れば、布地向きの刃角がたちまち鈍くなってしまう。従って子供たちに使用禁止令?がでるのはあたりまえである。
その点、万能ばさみなら、布地でも紙でも同じように切れるし、キッチンで少々乱暴な使い方をしたところで、一向にさしつかえは起きない。このはさみは布専用、これは枝切りなどと使い分けに気をつかう必要もない便利さがあることは確かだから、この万能ばさみの市場が広がったのは当然である。
けれども万能ばさみに、用途別に応じて造られたはさみのように、おのおの切るものにデリケートな切れ味を要求することは、まだ出来ない。単純化と細分化の繰り返しは、これからも続いていくのではないだろうか。



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職人型、量産型

新しいデザインと品質の均一性が量産型の特徴
しなやかな感触とソフトな切れ味が人気の職人型


はさみは所詮生活の道具である。道具である限り、どんな良い品でも戸棚にしまいこんでおいたら役に立たない。見近な手の届く場所において、必要に応じて使わなければ意味がない。拭いたり、磨いたり、じっくり眺めたりして楽しむ骨董品とは訳がちがう。とはいえ、はさみにだってグレードの差は大いにある。父祖伝来の技術を伝承して上等なはさみ造りをかさねている名人の職人もいるし、そういう人達では少ししか造れないので、中級品や普及品の量産に励む職人もいる。名人の造るものだけでは到底需要をまかないきれないから、普及品を造る職人もいてくれなくては困る。

名工が造ったものと、ある程度量産された中級品とが、刃物店、金物店の店先に並べられている。どちらも、一見しただけではほとんど違いはない。中級品だからといってそれほど粗末にできている訳ではないし、ためし切りをすれば良く切れる。はさみとして欠点があるというわけではない。値段も安いから、中級品を買うことになることが多い。名人の造った名品は、それほどたくさん出まわらないから、市場のバランスはとれている。
では名工作のはさみと中級品はどこが違うのか?

名工が造ったはさみをウィンドウガラス越しに眺めただけでは、中級品との差は余り分からない。両方を交互に手にとり、静かに開閉してみるといい。名工が精魂込めて造ったはさみの、言葉で表わしがたい快感が手に伝わってくるはずである。気のきいた刃物店には試し切りの布が用意してあるだろうから、少し切ってみればなお良く納得できる。中級品といえども新しいはさみは良く切れるが、名工品では同じ切れるといっても、実に気持ちの良い切れ味で、使った後に余韻といったあと味が残るだろう。

刃物は切りたいものが切れればいいといえばそれまでの話だが、感覚として気持ちよく切れる”切れ味”のよさというものは、さらに上等品だけが持っているものなのだ。確かに贅沢な感覚かもしれないが、名工の熟練を買うとすれば決して高価なものではないことが、使い慣れるにつれてよく理解できるはずである。

はさみの名品といえば、何の某(なにがし)と、高名な職人の造ったものばかりとはいえない。作者の銘がなくても名品はたくさんある。名工の造ったものでも、当人の銘がなくて扱い問屋銘、刃物店の銘で売られているものも多いが、そうしたものであっても値段は名人の銘入りのものと大差はないはずである。

また、名工作のものばかりでなく、機械による製造工程が多く、仕上げ工程を熟練工が手がける量産体制で造られたはさみも、最近では名品と呼ぶにふさわしいはさみもある。高級な材質を、精度の高い機械で処理し、丁寧に調整されたものは、それなりに切れ味も優秀なものができるはずだ。手仕事で造った品物だけが名品で、機械工程が多いものは名品でないとは言い切れない。
名工といわれる職人でも、当人の能力以上に多作すれば品質は落ちる。それは手造り仕事の場合は当然のことだ。機械による量産品では、品質のバラツキは起きにくいから、機械工程の精度がさらに上がり、均一な品質の高級品が生産されるようになれば、工場産はさみの名品がどしどし市場に出まわるなるだろう。量産品が安物とはいちがいにはいえないにしても、クラフトマンの造るはさみの暖かみといったものが、使い手に伝わるといった良さは望めない。手造りは、極端にいえば1丁ごとに微妙な出来具合の違いがあり、それだけに面白みがあるが、これは、個人的な愛用品として使われるほうがいいのだろう。

そうした始めから終わりまで手造りのはさみというものは、そうたくさん市場に出るはずはないから、誰もが欲しがるようになればたちまち品不足が起きるはずだが、現在のところではそうしたはさみに目を向ける人が極めて少ないので、名の通った刃物店へ行けば容易に入手できる。ラシャ切鋏、握り鋏、文具の一部、理容、華道、植木、花ばさみなど、丁寧な手仕事のものが、少し高いがいつでも買える。量産品にも高級品から安い普及品までなん段階もあるが、どうせ買うからには良いものほど良く切れるし、長切れする。

刃物を扱う店は、必ず、良いはさみを売りたいという。顧客から、以前に買ったはさみは良く切れる、とほめられると嬉しくなる。そういう反応が現われるのは、もちろん良いはさみにしか返って来ない。しかし、最近の顧客は、間に合わせとして安いものばかりに目が向いて、高級なはさみの売れ行きは余りよくない。日本人は豊かになったといっても、良いはさみは欲しがらないのだ。



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着鋼、刀の伝統を継いだ工法

ステンレス、清潔な印象


日本のはさみのきわ立った特徴は、着鋼(ちゃくこう)という技術がほどこされている点である。着鋼とは、はさみ全体の形は極軟鋼でできていて、刃の部分には硬いはがねが使われているという技術である。はさみばかりでなく、大工道具のかんな、のみなどから切出しまで、日本の刃物に着鋼技術が使われてきたのは、日本刀の伝統が広がったためである。日本刀を鍛えるのには、良質の玉鋼を折り返して鎚で叩き不純物を火花として取り除いた硬い鋼を皮鋼とし、やわらかな心鋼を包みこんで造る。こうすることによって、鋭い切れ味と容易に折れないねばりの性質を合わせ持つ日本刀が出来上がるのだ。

やわらかい鉄でできた本体の刃の部分に、良く切れるはがねを付けた日本のはさみは、すばらしい切れ味とともに、形容しきれない使い心地の良さがある。日本のはさみを使った時、手に伝わる柔軟で、しかもデリケートな感触は、まさに、世界に冠たる日本の刃物の伝統をしみじみと味わう気持ちになる。

世界の刃物の主産地は、わが国とともに西ドイツをはじめとするヨーロッパのはさみは全体がはがねで出来ているので、全鋼ものまたは”まるもの”と呼ばれている。全鋼のはさみを使っていれば、それなりに良く切れるし、少しも違和感はないが、日本の着鋼のはさみと使い比べてみると、やや硬質な感覚がある。はがねをプレスで打抜き、仕上げる全鋼製のはさみは、製造工程が着鋼より合理的だし、量産するのに適しているから、わが国でも全鋼製が増えてきている。
全鋼のはさみは、本体が極軟鋼の着鋼仕上げのはさみより、多少ムリな使い方をしても調子が狂いにくいが、あまり無理をしたり床に落したりしてユガミが出ると、直すことが困難になる。その点、着鋼のはさみは、大事に使わないと全体に狂いが出やすい欠点がある。(大体、はさみというものは床に落したり、強いショックを与えると、調子が狂って使いにくくなったり、切れにくくなったりする。ヨーロッパのはさみでも、日本のはさみでも、一応でき上がったあと、1本ずつ、熟練した職人が調子を整えて市場に出すものだ)

欧州製品ばかりでなく、中近東、中国、アメリカなど、ほとんどの国のはさみは全鋼製である。なんともデリケートな切れ味を大事に守って、手間のかかる着鋼ものに執着し続けてきた日本のはさみは、日本の伝統文化の灯りを受け継いだ所産といえるだろう。

しかし、わが国もまた近代化の波が押し寄せられて、この着鋼技術によって造られるはさみはどんどん減ってきている。国際的な見地からみて文句なく勝れているといわれた大工道具も、電化製品に圧倒されつつあるし、はさみでは、握り鋏やラシャ切鋏などに着鋼製品(つけはがね)が残っているくらいで、その握り鋏やラシャ切鋏の分野にも、全鋼製品やステンレスなど特殊鋼のものが増えてきているのは、時代の趨勢(すうせい)というものだろう。

最近、はさみの多くの種類でステンレスを素材にするものが出まわり始めた。美しい光沢、鉄と違って錆びにくい、しかもはがねと比べても遜色のない切れ方をする、と、3拍子揃っていては、ステンレス製品がはさみ仲間で幅をきかすようになっても不思議はない。ステンレスはステンレススチール(stainless steel)の略、その名のとおり地肌がきれいなのが特徴だ。

昭和30年代にステンレス鋼がはさみ素材として出始めたとき、錆びないはがねとして一事人気が集まったが、たちまち不評になった。いつまでも錆びないのはいいが、肝心の刃の切れ味が甘すぎてどうにもならなかったのだ。だが、普通鋼の致命的といえる錆びやすい性質に対して、錆びにくいステンレス鋼の魅力は捨てがたい。そこで刃の部分を表面硬化することによって、鋼鉄に負けないように処理する研究がすすんだ。素材は同じステンレスであっても、ニッケルメッキ無電解熱処理で硬度をあげたり、窒素被膜をかけたり、あるいは、焼入れしたステンレスをサブゼロトリートメント(深冷処理)で氷点下80~100度に冷却することによって硬度をあげるなど、様々な実験が行われた。

昭和40年代の始めごろから、ステンレス鋼を素材とするはさみが市場に姿を見せ始めた。それは、美容ばさみの国産化の端緒となった時期とも符合していた。

 ------ステンレスのはさみなんか、使いものになりはしない。

10年前のステンレスはさみの不評と、新製品としてよみがえったステンレスとの競争がしばらく続いたが、理容師、美容師たちのかなり苛酷な使用にも耐えることが判明するようになって、ステンレスばさみは、はさみの中に確実な地歩を占めるようになる。
極軟鋼の本来の刃の部分にはがね付けをする着鋼のはさみのやわらかな切れ味は、日本人好みのデリケートな感覚といえるものだけに、いまも着鋼ばさみの信仰は根強いが、着鋼ものの大きな隘路は、熟練した職人の手造り部分が多いことだ。

ステンレスばさみでも、プレスで打抜いたあとの仕上げ工程から、最後の調節には年期のはいった”手”がどうしても必要であり、それははさみ造りの宿命のようなものだが、そうはいってもステンレスばさみは量産向きであることは事実、着鋼ばさみとの出会いのチャンスが少ない若年層にとっては、はさみの素材はステンレス鋼という認識が出るのも当然だろう。

着鋼のはさみにも、技術の合理化がなかったわけではない。極軟鋼に硼砂と鉄粉を混合したノリを媒体としてはがね付けをする。火造り技術を忠実に守ってはさみ造りをする人達はラシャ切鋏や握り鋏など、伝統的な形態のはさみ造りの中でも、今やごく少数派になり、刃の部分は極軟鋼とはがねを合わせた複合材を刃の型に切って、握り部分(アシ)の可鍛鋳鉄(マリアブル)と溶接するラシャ切鋏工法が一般化している。




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はさみ供養

毎年8月3日が「はさみの日」


1977年8月3日に東京芝の増上寺で第一回はさみ供養法要が行われてから現在に至るまで毎年行われている。増上寺は徳川家康の帰依を受け、徳川氏の歴代の菩提所となった名刹である。
はさみの日はラシャ切鋏の特売や、使い古したはさみの研ぎもやってもらえます。切れなくなったはさみを研いで貰いに、地元ばかりでなく遠方からこの日に集まる人達も増えています。この日くらいは日頃お世話になっているはさみを見直してみてはいかが?



********** 「鋏読本」佐野裕二著より *********


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